【考察】パンとフィルムの主人公はどちらか【ミリオンライブ】
どうも、ついに顔を直視することすらできなくなりました田中有紀ガチ恋勢ひゃるカスです。
パンとフィルムの考察です。どうぞ。
ぼくがつえたいのは「左手は誰か探していた」「シャツの襟に 靴の紐に」「いっそ涙ごと連れて行けばいいか」「誰かに合わせるように踊るみたいに歩いてゆくんだろう」「耳の中に きみを残してる」のかしの卍いとおかし卍なところでしゅ。
はい!終わり!閉廷!以上!みんな解散!君もう帰っていいよ!
ここから記事タイトル回収タイムです。
ちなみに上の画像に字がヘソの中より汚い、とか推敲しろ、とか解釈違い、とかお思いになられたならごめんなさい。反省はしません。みんなは綺麗な字を書こうね♡みんなもパンとフィルムの記事出して♡
Retale、ドラマCDはバンナムがパンとフィルム単体の購入権を許す限り無視します。つまり全く触れません。
ワイは最近「ノルウェイの森」を読んだ影響もありこの曲を成人済みの女性の、同棲していた彼と別れた後の曲だと思っていましたがパブサしてみたらあら不思議。死別説が出てくるじゃないですかあらー。確かに君彩メンツ成人どころか高校生かそれ以下だもんね。
どっちもありえるな・・どうしたろ・・議論してえけどダチ公いねえし・・せや!ブログで一人議論行ったろ!
議論は理解を深めるために有効だもんね、うんうん ち。泣いとらんぞそんな目で見るな
自身の情報整理の為にまとめるので見やすさとか筋とかは気にしません。期待なんか背負いたくない、自分のレベルなんて試されたくないので(現代人の為の樋口円香免罪符)。
けっせん!成人女性派 vs 死別女子高校生派
シェイク vs バナナスプリット
デュビア派 vs レッドローチ派
胸を盛り野凛世 vs 盛らん世
うーん、この腹は甘奈! 和解 このお腹でちょこ先輩は無理あるでしょ
成人女性派の主張
- 「桜だった」
桜は春の季語だし学校にだけ生えてる植物じゃないだルォ?
- 「暮らしの中 椅子の足に パンの湯気に どこでもきみがいて」「ありふれた けれど美しい日々よ」
彼との暮らしのことだルォ?
- 「幼いあたしを見つめる 大人の瞳が好きだった」
自分が幼い、という自覚は年を重ねれば重ねるほど受け入れがたいし、だからこそ受け入れる葛藤は「エモ」を生み出すダルォ?
- 「天気雨が」
天候って心情の暗喩に使われやすいので、人4んでるなら台風の如くな大雨でいいんじゃね(天気雨は雨の季語って意味もあるだろうけど)。
- 「暮らしの中 シャツの襟に 靴の紐に」
会社で働くんじゃない、社会に出るんじゃない主人公ちゃん。で、シャツと靴で正装。
切り替えようにも切り替えさせてくれない君の残像。せつない
- 「失った恋」
失恋を分解して失った恋って言ってるだけでしょ。
- 「失った恋だけで進んでくには ちょっと長すぎるよな」「どこにでもある恋だった」
ただの失恋と割り切って前に進もうとしている。
今気づいたけど終わっても終わらない恋だったって、別れた今なお彼のことが好きってことじゃん・・・・・・・。
- 「時はいずれ あたしを変えるだろう」
未来を嫌でも見据えなきゃいけない年齢であればあるほどこの詩の悲壮感は大きいよね。
時に身を任せるだけじゃ社会に後ろ指刺される状況とか。
以上。
死別の女子高校生説の主張
- 「桜だった」
さーくらさいたらいちねんせー、じゃないけど桜は学生の出会いの象徴ですね。
- 「暮らしの中 椅子の足に パンの湯気に」「嗚呼ありふれた」
君のいない世界など夏休みのない8月、じゃないけど恋するだけで世界が明るく見える的な表現やもしれん。
君がいて、は心の中にいてって意味やもしれん。
- 「間違えない恋なんて恋じゃないとか言って」
このくらいの年は間違ってなんぼの年やし。
- 「空は変わらずそこにあって」
空ってのは天国のメタファーとしてそこらじゅうごろごろ転がってるもんやしそういうことや。
4んだ彼は時間も思い出も進むことも変わることないんや。
- 「あと一度抱きしめればよかった」
4んでればおっきな後悔よね。
- 「暮らしの中 シャツの襟に 靴の紐に」
学校あるなら制服でシャツ着るし靴履くよね。
- 「失った恋だけで」
彼を失ったと捉えられるし、4を経験してなお「長すぎるよな」は強い子や・・。
- 「どこにでもある恋だった」
4を「どこにでもある」と言ってしまえるほど強い前に進む意志や・・。
- 「時はいずれ私を変えるだろう 誰かに合わせるように 踊るみたいに 歩いて行くんだろう」
高校なんて大学のための3年間なんて言われるくらいやし未来のこと考えててもおかしくはない。
- 「最後の夜に交わした 最後の言葉消えないままで」
また会えるなら最後ってのは重い気がするねんな、だから高校生の失恋なら転勤or4という別れって事がここの歌詞で汲み取れる。
以上。
ここまで議論しといてハナから俺は成人女性派なんですけどね、初見さん。
大人と分別される人間の、微小な自分の中の子供と大人の責任との葛藤はジュブナイル過剰摂取人間からしたら新鮮でぶっ刺さりでした、はい。
前述した「ノルウェイの森」は偶然にもこの曲に似た感情の動きが記された小説でして、その中の一説を抜粋し締めとさせて頂きます。
そして俺は今よりももっと強くなる、そして成熟する。大人になるんだよ。そうしなくてはならないからだ。俺はこれまでできる事なら十七や十八のままでいたいと思っていた。でも今はそうは思わない。俺はもう十代の少年じゃないんだよ。俺には責任というものを感じるんだ。なあキズキ、俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないんだよ。俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000203589
2021/6/5追記、「椅子の足」「パンの湯気」「シャツの襟」「靴の紐」とプラネラリウムの北から南を見るような視点移動をして「パン」を表している説をチラッと見かけました。。めっちゃ納得したのでここに載せときます。
https://www.lantis.jp/imas/release_LACM-24106.html
2021-04-29